じんのひろあきによるキャスト紹介

● 植野 祐美

● 二宮 咲

● 益子 祐貴

● 双葉

● 木野崎 菖

● 石川 ひとみ


植野祐美(ガソリーナ)

植野祐美(ガソリーナ)

【略歴】2003年~09年 劇団日本児童にて芝居・声楽・バレエの基礎を学ぶ
2008年~2013年 声楽 島倉学に師事
2012年~2016年桜美林大学総合文化学群 演劇専修 コンテンポラリーダンス木佐貫邦子に師事。身体訓練や戯曲理解を中心に、演出論や制作の仕事について学び理解を深める。
2016年よりガソリーナに所属。

【出演作】
桜美林大学パフォーミングアーツプログラム『女殺油地獄』2015.1
虹の素『百鬼夜行、朝まで』2015.9
ガソリーナ『櫻の園2』2016.5 再演10
fragment edge『うみがめくれる』2016.8
ACファクトリー『Kill~新撰組がキルっ!?~』2016.11

 

好きな映画
『いまを生きる』『恋に落ちたシェイクスピア』『ブラック・スワン』『トイ・ストーリー』『おおかみこどもの雨と雪』
好きな演劇
『CATS』『美女と野獣』『夢から醒めた夢』(劇団四季)
『男たち』(ハイバイ)
『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景』(マームとジプシー)
小説・漫画
『ドラえもん』『ヒミズ』『動物農場』

  出会ったのは一昨年。
 神奈川劇王で虹の素という劇団で二人芝居で『銀河鉄道の夜』をやっていた。
 植野祐美の演技よりも、その着想に驚いた。
 演劇人のトラウマともいうべき、宮沢賢治の作品群。
 その中でもやはり代表作であろう『銀河鉄道の夜』。
 いろんな劇団がいろんな形でこの『銀河鉄道の夜』に挑戦してはいるが、あの童話がもっているエッジの切れ味とどこまでも意味深い曖昧さがうまく表現できているもの巡り会うことは、そうそうなかった。
 その昔、『銀河鉄道の夜』の翻案で衝撃を受けたのは北村想さんの『想稿銀河鉄道の夜』。
 これは実際にカンパネルラとジョバンニが列車に乗るのではなく、その銀河鉄道がやってくるのを待っているプラットホームにおいて『銀河鉄道の夜』の物語の中で展開する道行きの数々のエピソードが語られるというもので、初演をスズナリで見て感銘を受けた。
 そして、前後するけど、杉井ギサブロー監督、脚本別役実、音楽細野晴臣、キャラクターデザイン、ますむらひろしという面々で作られた映画もまた、非常に上手く映像として宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がもっている、あのなんともいえない絶望的な童話を非常に上手く昇華させていた。
 そして、それから二十数年の時を経て、熊手くんらの虹の素という劇団がまた新しい解釈の『銀河鉄道の夜』を世に提示した。
 だから、その時は、熱演していた植野祐美よりも作品のコンセプトにいたく感動していたのだった。
 終わって、たまたまTwitterで植野祐美と演出の熊手くんをフォローしてしばらくDMでのやりとりが続いた。
 当時、というか今も作り続けている静止画を連続させて映画を作るプロジェクトを私は細々と続けているのだが、そのテストフィルムのモデルになってくれないか、と植野祐美を誘って横浜で試作品を撮影したのが16年の二月のことだった。
 まだ植野祐美はポートレートのフォトグラフの経験はあったが、実際に動いてみるとか、自分のセルフイメージ以外のものを要求されると、あからさまにとまどっていた。
 そんなこんなを経て、『櫻の園2』を上演することになり、彼女に声を掛けた。
 声をかけた時点では、彼女に志水部長をやってもらおうとは思っていなかった。
 後でここに書くけど『櫻の園2』のキャスティングは二宮咲と益子祐貴からスタートしている。
 この二人が90年版の『櫻の園』に登場しないオリジナルのキャラクターを演じるとしたら、では、志水部長は植野祐美かな、と。
 植野祐美は最初、自分の名前と役名の志水由布子が並んでいるのを、見て、志水さんという役者さんと一緒にやるんだ、と勘違いしたようだった。
 映画版をその前に見ているのに、だ。
 それくらい、自分が主役四人のうちの一人をやるとは思っていなかったらしい。
 そして、再演では桃ちゃんという映画版には登場しないキャラクターを演じて貰った。
 これは春に益子祐貴がやったもので、映画版の志水由布子といい、春に益子がやった桃ちゃんといい、あらかじめ誰かがやった役を、自分なりにやらなければならない、というハードルが続いた。
 そして、客演が続いた昨年末を経て、ついに私の短編集『Short Cuts3』への出演。
 ここでもまた紆余曲折あって、ついに書き下ろしの『真(チェンジ)』を、メイド服に身を包み演じることとなったのだった。
 さて、そして今回は… 笑
 演劇の神様、彼女はなにをやるんでしょうか?
 できるだけ早く教えてくださると、私も彼女も助かりますです。

 


二宮咲(ガソリーナ)

 二宮咲の芝居を見たのはやはり一昨年の年末の劇王という短編演劇祭が最初。
 もう言ってもいいと思うが、劇王に審査員として最初に呼ばれたのは三年前で、その時はある審査員がドタキャン状態だった。
 そうでないと呼ばれることはないみたいだった。
 で、私のところに「空いてますか?」と連絡が来て「大丈夫、大丈夫。やりますよ、最近、若い人達の芝居を見ることがないから」と引き受けた。
 そこで今も懇意にしている、たすいちという劇団の三人芝居と、アガリスクエンターティメントというちょっとひねたシチュエーションコメディ劇団に出会えたのは収穫だった。
 そのたすいちが二回目に出場した時に出演していたのが二宮咲だった。
 今でも覚えているのだけど『透明人間消える』という芝居で、二宮の決めポーズが両手を左右に思いっきり広げ「や-!」という、叫び声を上げるものだった。
 それが劇中何度も繰り返される。
 だが、彼女はその決めポーズの両手を広げるのが、絶対に水平に広げることなく、角度がとにかくいい加減で「こいつ、やる気あんのか、これは演技なのか? たすいちの作・演出の目崎くんは意図しているのか?」まったくわからなかった。
 それは予選を勝ち抜き、決勝を勝ち抜き、そのあと、横浜でやっている、かもめ短編映画祭でも招待作品として上演された。
 たまたま、その三回とも私は審査員として呼ばれてしまったために、二宮の腕の角度が毎回毎回いい加減な「やー」を三回見ることになった。
 三回である。
 「やー」である。
 私は人生で三回同じ芝居を見たことが実はない。
 そしてまたしても、いい加減な「やー!」
 三回見た中で、何度も登場する「やー」!そのどれも微妙にちがう、だけど、絶対に腕を水平かつ、まっすぐに上げることをしない「これは偶然とかではないし、もう、彼女の確固たるプランでしかない」と、諦めるといってはなんだが、もうそういうものとして見るしかないと、観念した。
 その打ち上げで「今度『櫻の園』つーのを春にやるんだけど、出てくれないかな。脚本はなんとなくあって、悠ちゃんという役をやって欲しいんだが」と、話をもちかけた。
 その時、二宮は「やった!」と、拳を宙に突き上げた。
 その拳はまっすぐ上に向かって上がった。「なんだ、こいつ、腕をまっすぐ伸ばすことってできるんじゃん」
 というのが、二宮咲と出会った私の第一印象である。
 そして、その時のことを二宮は「あのじんのさんの、出ない?って言葉を聞いた時に私の中にある、おもしろアンテナがぴーん!と反応したんですよ」と後に話してくれた。
 二宮の中のおもしろアンテナってものがどんなものかは、未だに怖くて聞いてない。



益子祐貴


  実はもう六年以上前、まだ彼女が大学生だった頃、彼女の大学の劇研の男子がうちの芝居に出てくれて、その時、益子が見に来た。
 へえ、大学で演劇やってるんだ、と、聞いて「ついでだから」と台詞を読んでもらった。

 私はその役者が自分の芝居、というか自分の台詞を体現してくれるかどうかは、第一声でわかる。

 最近、これについてもいろんな人と話すのだけど、はっきり台詞を喋る、滑舌が言い、声が伸びる、ということとは別に、うまく言葉にはできないけれど「声に説得力がある」という判断基準が存在するのではないか、と。

 益子は説得力に関してはぬきんでていた。

 みなさんは、『ブラックレイン』の松田優作さんのオーディションの時のビデオを見たことがあるだろうか。
 本編の台詞を言っているだけど、それがオーディションにもかかわらず、本編そのままのテンションとクオリティの芝居をしている。

 その場で見ていたリドリースコットが「ここでカメラを回せる!」と言ったほどの芝居で、これは役者志望、演出志望の若者は是非みておくといいと思う。

 本来、オーディションというのはこういう覚悟を持っていどむべきなのだと。

 で、それはそれでいいとして、この時の益子は(優作さんと比べるのは誠に僭越ではありますが)「あ、もう台詞入れて貰うだけでいいから」というレベルだった。

 だが、この益子祐貴は一筋縄ではいかない。
 ほんとうにもうもうもうもう、もう面倒くさい。
 このあたり、愛憎入り交じって超感情的になっている。(^_^)/

 「就職が決まっているので、ダメです」とあっさりと断わる。
 あっさり、である。
 そして、このあっさり断る、というのは今もってまったく変わらない。
 「あ、その時期ダメですね、なんとかやってるんで」
 と、申し訳なさそうとか、そいういのも微塵もない。
 そういう時に限って「もうこれ以上、この話はすんなよ」と、ばかりに明後日の方を向いて「早くこの話が終わんないかな」というオーラを立ち上らせる。

 しかし!

 そして、その二年後に突然「会社辞めたからでれます」と出演する。
 もう、なに信じていいんだか。
 
 その時は今『Short Cuts』でやっている短編演劇集の中で、上演されていない未発表戯曲がかなりの数ある中の一本、過疎化したレディースの暴走族の話をやってもらった。
 案の定、本読みで「ああ、それでいいよ、あってるよ、それでやってくれよ(これ、全部、ロートーンで言ってます)」

 さらに、その数年後、私が岸田国士戯曲賞に二回目にノミネートされた『俺なら職安にいるぜ』を、セルフリメイクした『深海で聴くリリーマルレーン』に一番重要な役で出演してもらった。
 これもまあ、言うことはなにもない。

 その後、益子とは良い関係が続きすぐに『櫻の園2』の初演に出て貰ったが、そこからがまたよくわからない。
 よくわからない。
 本当によくわからないが、KPOPにはまる。
 追っかけをはじめる。
 なぜか、ダンスまでやりはじめる。
 もう、わからない。
 なんで私の芝居に出てくれないんだ。
 そして、おまえは私の台詞を喋ってくれたらいいんだ。
 という願いも虚しく「えっと、あのですね、ダンスライブに出るために芝居をやっている暇がありません。だから出れません」という、自由にもほどがあるだろうと。
 益子祐貴というのはそういう振れ幅の持ち主である。

 それでも、だ。
 益子祐貴が最初に見せてくれた「説得力のある芝居」を私は渇望しているので、アプローチをずっと続けていた。
 ほぼ、脅迫に近いアプローチをこちらもせざるを得ない。
 彼女にしてみたら、それはありがた迷惑というやつであろうが、そんなの知るか。
 彼女がいないと、私の世界はできないんだからしょうがない。
 そして、ようやく今回、出演願えることになった。
 でも、もう、迂闊に喜んだりはしないぞ!
 今回は出てくれる。
 そして、たぶん上手い。
 良い芝居になるだろう。
 しかし!!!!
 次がいつになるのかは、本当に演劇の神様にしかわからない。


双葉(劇団108)

 私事ばかりではあるが、毎度毎度『劇王』という短編芝居のコンテストの審査員に呼んで頂けて、とても嬉しい。
 そもそも、普段、若い人達のはもちろん普通に芝居を見ない生活がこの15年ぐらい続いている。
 その昔、年間180本を見ていたことが、自分自身でも信じられないくらいだ。
 あれはいったいなんだっんだ、という感じである。
 なにせ、金夜、土日二本ずつは絶対見て、それプラス、水、木の初日系、また祝日があれば、そこも二本見る、という生活だったわけだから。
 でもって、その『劇王』繋がりで、他のシアターミラクルでやっている同じく短編演劇集やら、中編演劇やら、そして、小屋主である池田さんがやっているプロデュース公演を見るようになった。
 池田さんがまた、女の子が好きな人だ。もちろん男も出ては来るのだけど、女の子を出すために男を出さなきゃならないから、男を芝居に出しているようなもので、とにかく女の子が多い(これはそんなに間違っていないと思う、池田さん、怒らないでね)
 でだ、またここに出るのは可愛い子が多い。
 その中でも、とりわけ可愛かったのが双葉ちゃんだった。
 ようやく彼女の話になった。
 ちょうど『櫻の園2』の秋の再演の前に彼女が出ている芝居を見て「次の短編集に出て欲しいんだけど」と誘った。終演後の面会で彼女がとても笑顔で、にこにこしていたので「あ、わかってくれる人だ、大丈夫だ」と確信した。
 自分の作品を見てくれた直後ににこにこして面会するのはそれは嬉しいもんだ。
 しかも、可愛い子がにこにこして話しかけてくれるわけだ。
 嬉しいもんだ。
 そして、『Short Cuts2』の稽古が始まった。
 あの、素敵なにこにこ顏はどこかへ行ってしまった。
 戸惑いが続く。初めて一緒にやる役者に対して、できるだけ私はあらゆることを、あらゆる例えで言ってみる。そのうち、どんな言葉がヒットして芝居が変わる、というか、軌道に乗る、というか、離陸するのかはわからない。
 何年やろうが、どれだけの人とやろうが、とにかく「これをやれば大丈夫」という方法はない。
 とにかく、どのスイッチを押せば『あ!』というランプが点くのか、わからない。
 他の劇団がやっている普通の稽古方法ではないから戸惑うと思います、というのは必ず最初に言うことだけれど、伝えるのは、違う、ということだけで、ではその違う方法においての正解はなにか? ということは毎回違う。
 しかも、この『Short Cuts』のように短編を連続して上演する場合、その話ごとに演技のメソッドがちがっていたりするから、他の人の稽古を見ていても参考にならなかったりする。
 そして、一週間前くらいに稽古場で良い意味で号泣して、その状況から大脱出!
 この号泣の話はもっと時間が経ったらお話できると思う。
 あとは、インタビューを参照してください。

 


木野崎菖(実験劇場)

 彼女もまた昨年二月に上演されたシアターミラクルの短編、というか中編かな、に出演していて、ビジュアルがとてもいいなあ、と思った。
 ちょうど、その劇に二宮咲も出ていて、芝居がハネた後、二人でお茶しながら「あの菖ちゃんって、すごくいいね、『櫻の園2』に出ないかな、どんな感じの人なの?」と、なんとなく聞いてみた。
「菖さんですよね、いいですよ、菖さん、すっごいいい人なんですよ、いいんですよ菖さん」(二宮の口調をまんま書いてます)
 で、その足で劇場に戻り二宮が「じんのさんが、菖さんに出て欲しいって言ってるんですよー、今、そこに来ててー」(二宮の口調を再現しています)
 だが、菖ちゃんは「私、作・演出の舞台がもうすぐあるんです」と、断ってきた。
 え? 作・演やんの? え? そもそも君はいくつなの? と聞いたら「今度大学二年です」と言うではないか。
 なんで大学二年の春にもう作・演出で芝居やろうとしてるんだ、この人は? というのは、私が関与することではない。
 その作・演出の舞台をやってもらって構わないから、終わったらこっちに合流して出てくれないか、と、熱烈に口説いた。
 一日、二日して「やります」と言ってくれた。
 しかし、しかし……である。
 『櫻の園2』で探していたのは、劇中の演劇部の部長である志水由布子が好きになる倉田知世子という女の子だった。
 背が高くボーイッシュ。
 木野崎菖ちゃんは倉田知世子としてのビジュアルは申し分なかったが、その時、すでに志水部長は植野祐美でどうか、と思っていた。
 女子の年のことはあまり書きたくないが、どう見ても植野祐美と菖ちゃんが同級生には見えない。
 さて、と、困った。
 ん……と、二秒くらい考えた。
 本当にこういう時って二秒で答えは出る。
 同級生に見えなければ、同級生でなければいい、それだけのことだ。
 年下に見えるなら下級生にすればいい。
 しかも、菖ちゃんが自分の作・演出の舞台があるとなると稽古には遅れての参加となる。
 下級生、ということはつまり、二宮がやる菅原悠と同じ一年生。
 なおかつ、菖ちゃんの倉田知世子は演劇部の秋公演が終わってからの入部でどうだろうか? 
 二宮は幕開きと同時に演劇部に入部を希望し、春から居る唯一の一年生。
 なんとなく、この芝居を二幕にしようと思ってはいたけど、そうだ! この一幕の終わりで倉田知世子登場で終われば、いいのではないか?
 イメージとしてはライオンキングの一幕の終わりで、あれが出てきて幕! という、あの感じをパクればいい。
 二幕目の主要人物が一幕最後登場する『ライオンキング』である。
 あれだ、あれ。あれをやろう。
 『櫻の園2』は『ライオンキング』でいく。
 ありがとう『ライオンキング』!
 菖ちゃんが私の目の前に現れてくれたおかげで『櫻の園2』の劇構造がこうして決定した。
 これはみんな本当のことだ。
 もしも、菖ちゃんとあの時出会ってなかったら、いつまでも90年版の映画の『櫻の園』と同じく、同級生の倉田知世子役ができる女子を捜し求めていたと思う。
 90年の映画の『櫻の園』の脚本を書いていた25年前も、いったい志水さんはいつ倉田のことを、どこで好きになったんだろう? と、ずっと考えていたが、あれはリアルタイムの話なので、そのあたりをすっとばして描いても大丈夫だったが、気にはなっていた。
 だが、演劇部の夏の公演が終わって、その主役級の女の子に憧れて入ってきた新入生を、さらに部長である志水さんが好きになり、の方がよりドラマは濃密になるとも思った。
 でも、それもこれも、すべては菖ちゃんの登場によって、すべての辻褄が合ってしまったとしか言いようがない。
 私は稽古場でしょっちゅう「そんなことは演劇の神様しか知らない。私に聞くな」といろんな質問に対して答えているが、これは考えてないから聞くな、ということではなく、いつかその答えは演劇の神様が用意してくださるので、それまで、皆がそれぞれなすべきことをやっていればいい、ということだ。
 私が答えを知っているわけではない。
 そして、一幕を菖ちゃん抜きで作っていった。
 二幕は元々の映画の台本の流れがあるので、菖ちゃんが来てから、どんどん作っていったんだけど、菖ちゃんの芝居が正確だから、なにも言わなかったら「放置されている」とスネ始めた。
 面倒くさいことは面倒くさいんだけど、でも、放置されていると感じて、黙ってスネられるよりも「放置されている」と、言葉にしてスネてくれるほうがわかりやすくていい。
 「そうじゃない」と、言っても、最初はなかなか信じてくれなかった。
 かなり信じてくれなかった。
 悲しかった。
 最後はわかってくれた。はず、と思っているが、この前、たすいちの芝居の終演後に話したら「私も大人になりましたから」と言われた。
 どんな大人になったのか、しかと見せていただくぜ。

 


石川ひとみ(スターダス・21)
 姉さんと最近呼ばれている、石川ひとみ。
 まあ、他に参加してくれている女子達が「成人式の前撮りのために髪が切れないんですよ」という子らが、気がつけば大半を占めている座組なので、彼女達から見れば確かに姉さんなのですが、若くて綺麗なんですよ、まじで。
 彼女は桜美林大学の演劇の出で文学座の養成所出ております。
 三年前に長編の『深海で聴くリリーマルレーン』というのをやった時に、オーディションにふらりと現れた。
 その時のことも、またいつか書くが、それが終わって、一年前の『櫻の園2』の時に、演劇部の顧問の先生役をお願いようと思ったのだけど、スケジュールが合わずに断念。
 本番を見に来てくれた後「出たかった」と言い残して帰って行った。
 まあ、そりゃそうだろう。
 そして、彼女が顧問の先生をやってたら、また違った作品になったろう、と。
 でも、まあきっとまた一緒にやる日がくるだろう、と思ったんだけど、まさかそれが半年後に実現するとは思いもしなかった。
 彼女は文学座という老舗の大きな劇団の養成所に所属していたので、礼儀などとてもちゃんとしている。
 ガソリーナというか、私の創作の場は上下や立場などよりも、その作品にとって重要なことが最優先となる。
 が、それは、上下関係や立場などがわかった上で、それを飛び越えて来て欲しいだけのことで、なにもかもに無神経でいていい、ということではない。
 普通に生きていくのなら、一般的な社会のルールというものが規範となる。
 だが、我々が生きている、この世界はその一般的なルールとは別のいろいろな掟が存在する。
 一般的なルールは破っても構わないが、掟を破ってはならない。
 これがこの世界の特殊なところだ。
 では、その掟とはなにか? と聞かれても、それは成文化されているものではないからやっかいだ。
 石川ひとみは、姉さんと呼んでくる後輩達に対して、芝居についていろいろ意見したり、ダメだししたりということはもちろんだけれども、その掟についてよく話し、叱っている。
 これはとても助かっている。
 芝居を作り始めると、なかなかその掟について話して注意してやる時間がなくなってしまう。
 そして、これは経験がある者にしかわからないことだが、彼女はおそらくとても良い先輩達に、若い頃、掟について同じように叱られてきたのだと思う。
 若い頃はみんなチンピラで野良猫だ。
 それは、知らないからだ。
 なにを知らないのか、すら知らなかった頃が誰にでもある。
 その時、きちんと向き合ってくれて、怒ってでも教えてくれる先輩達がいるかいないか、は、その人間のその後の人生を大きく左右する。
 私もそんなチンピラであったし、その時、怒ってくれたり、かばってくれたりした人がいた。
 石川ひとみの後輩達への言動を見ていると、彼女のその向こうに優しき先輩達の姿が見えることがある。
 そして、この石川ひとみは、なにも知らなくて失礼千万だった頃の自分のことを忘れていない。
 私が石川ひとみを信じて込み入った話をするのは、だからだ。